| NTT関東の誇るエース。外国人のいなかったNTT関東で、長らく最年長選手として、チームを引っ張った。
「JFL最年長プレイヤーを目指す」という目標は、年より準会員チームの存在により果たせなかったが、 現役最後の年にとてつもないことをやってのけた。
日付けにもあるが、1995年10月25日、世間が小林宏対オマリーとか言って躍らされていたちょうどその日。 NTT関東は鴻巣に首位の福岡ブルックスを迎えていた。
圧倒的な戦力を持って突っ走っていた福岡に対して、この日はNTT関東のゾーンプレスがまともにかかった。 そして、ボールを奪うと美しく左右に開いて、ワイドな展開で福岡ゴールに襲いかかったのだ。 そしてこの試合で最も輝いたのが赤井だった。
まずは25分にいきなりフリーキックを直接決めて先制。 競技場中に響き渡る奇声を発して喜びを爆発させるベテランの姿に、観客は何かが起こることを予感した。 試合は一旦福岡のマジョールのフリーキック返しと、竹元のゴールで逆転されるが、今度は前半終了間際。 右からのショートコーナーを一旦左にワイドに振って、中央にクロスが入ると、 これをダイレクトボレーで叩き込んだのがまた赤井だった。スーペル!
単なる消化試合と目されていたゲームは、異様なテンションとなり、 数々のどよめきとため息が交差しつつ一歩も譲らず、延長まで突入した。 延長前半、ダイレクトボレーで叩き込んだスーパーゴールはオフサイドで取り消されたが、結末は延長前半、13分。 波状攻撃から左に展開し、そこからのクロスをまたも中央から完璧に蹴り込んでハットトリック。 福岡を開幕以来守りつづけた首位の座から引きずり下ろした瞬間であった。 鳥肌が立ったよ。
試合後は、サラリーマンの集団であるNTT関東の選手たちが、 地元の子供達にもみくちゃになってサイン攻めに合っていた。 やっとの思いで缶コーヒーを買えた赤井選手に、私も勿論色紙を差し出した。 |
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