| ゲームメイクに秀でる天才肌ボランチ、と敢えて言おう。
加入当初は、巻田に替わって途中出場することが多かったので、 巻田ファンの私にとってはむしろ邪魔な存在であった。
が、その独特なプレイは、明らかに異彩を放っていた。
親善試合として行われた初の川崎ダービー、ヴェルディ戦では、 富士通川崎のメンバー中、ただ一人通用するという期待を感じさせた。
しかしながら、97年はやはり大量補強の影響で出場機会が激減。 そして、98年に、ベット監督のもと、電撃的に左サイドバックにコンバート。 これがはまって現在に至る。
99年は、いつ覚えたのか正確なフリーキックでたびたび直接ゴールを奪い、 松本郁夫のもとで完全に機能しなくなったチームを、個人技で救った。
でも、なんで愛称がベティーなんだろう? それって女性称だよな? |
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