アイスホッケー資産

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ユニフォーム資産
アイスホッケー資産
初のプレイオフ特集

もともとアイスホッケーに関しては、なんとなく微妙な感じを持っていた。
本来は北米4大スポーツのひとつである。
ベースボール。バスケットボール。アメリカンフットボール。そしてアイスホッケー。

ということは、極めてメジャーなスポーツのはずである。
しかしながら、北米で流行っているスポーツは、いずれも
「アメリカが1番ではなくてはならない」ものであり、
いわゆる世界標準というよりは
アメリカローカルスポーツとも言い換えられるものであるのも事実である。

しかも日本では、いわゆる堤氏の個人的資産というようなイメージもなきにしもあらずであった。
さらに、長野オリンピックでは、ナショナルチーム強化のため、日系人をがんがん帰化させていたり、
どうものめりこむには程遠いスポーツであるような気もしていたのだ。

一般的に、アイスホッケーは氷上の格闘技といわれる。
スピードは他の競技を圧倒するとも言われる。それはわかっていた。
でも、そんなわけで、なんとなく、見るのを避けていたのであった。

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そんなアイスホッケーが、少しだけ身近なものに感じられたのは、
「古河電工」チームが、廃部になる、というニュースが発端だった。
不景気の昨今。企業チームの廃部など、珍しくはない。
しかし、このチームの場合は、若干展開が違っていた。

企業チームの廃部を受けて、地元で大きな動きがあった。
初めての市民クラブチーム、「日光バックス」が、プロチームとして立ち上げられたのである。
もともと地元に近かったこともあり、また、サッカーでも地方の弱小クラブが好きな私にとっては、
結構なエポックメイキングではあったのだ。

「でも、サッカーでさえ、地方のクラブは苦労しているのに、
果たしてアイスホッケーでやっていけるのかな?」

そして、その危惧は、プロチーム立ち上げ1年目にして現実のものとなった。
「日光アイスバックス、経営難で解散」。偶然目にしたニュースに愕然とした。
苦しいのはわかっていた。多分無理だろうなとも思ってもいた。
でも、あまりにも早過ぎた。

そして、日光にプロチームを、という夢のようなプロジェクトに、
まったく自分が関われなかったこと、何一つ貢献できなかったことが悔しかった。
チームは、シーズン終了までは、何が何でも活動を続ける、と言っていた。
ならば、何か一つでも参加しなければならない。

ちょうど、うちのへぼチームが天皇杯でさっさと負けていた(しかも相手は甲府だ)こともあり、
急遽日光まで出かけてみることにした。

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前日、私の人生の中でも最も大切な友人と朝まで飲んでいたこともあり、体調は最悪だったが、
大幅な遅刻をしながらも何とか会場である日光霧降アイスアリーナにたどり着いた。
そこは想像していた以上の素晴らしいスタジアムだった。
会場に入っただけで感動したのは、甲子園、仙台スタジアムとここだけだ。

厳寒の中での観戦が想定されているため、厚着しても大丈夫なゆったりとした椅子は、木でできている。
そして足元にはヒーターが入っており、雪で濡れた足を暖めてくれる。
そしてなによりも、ホッケーが見やすいのだ。客席が一段高くなっていて、
プラスティック板が余り邪魔にならないのだ。

そして、そんな最高の会場で、最高のプレイを見せてくれる男がいた。
その男こそが、マーク・コフマン

リードされていた終盤。ミドルレンジから弾丸のように放たれたスラップシュートが、
寒気を切り裂き、そしてゴールネットを激しく揺さぶった。
その瞬間、スタジアムに異様な、嵐のような歓声が渦巻いた。

この一体感は何なのだ?
これこそがスタジアムじゃあないか?
失われた聖地、西が丘の憧憬が蘇ってきたかのようだ。
激しく血液が逆流して、肝臓内のアセドアルデヒドが一瞬にして分解されたような興奮だった。

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私は昔、散々野球を見て来た。パリーグばかりだけど。
そして今はサッカーを死ぬほど見ている。
いずれも、本来テレビで見るものではない。
生で、競技場で見ないとわからない興奮、感動、爽快感がある。
「生の鮮度」こそが重要なのだ。

しかし、アイスホッケーの「生鮮度」の重要さは、野球やサッカーの比ではない。
一度この素晴らしいスポーツを生で見て欲しい。

こんな凄いスポーツをマイナー競技に貶めているのは、我々にとって、大いなる損失である。