本田技研95-96ホーム |

| 我らが東京の唯一のライバル・本田技研のユニフォーム。
関東のアマチュアの雄が東京なら、東海のアマチュアの雄が本田技研だった。 95年に柏レイソルの昇格に貢献しながら首にされたロペス・大橋を受け入れ、抜群にチーム力が上がった。 もともと本田は強豪チームだ。しかし、Jリーグへの不参加を表明。 北沢・黒崎・長谷川・石川康・本田などの主力が次々移籍し、チームは大きく戦力ダウンしていた。 しかし、古豪は復活したのだ。
東京対本田の一戦は燃えた。 準会員との相手でも燃える事は燃えたが、あれは相手を敵として見ていた節がある。 でも、本田との戦いは、どちらが真のアマチュアの雄を決するか、という、対決の図式になった。
そして96年、本田技研は遂に快挙を達成する。 JFL史上最高レベルと言われたこの年、並み居る準会員チームを蹴散らし、 準会員チーム以外で初の優勝を勝ち取ったのである。 それは、JFLが単なるJリーグ昇格レースの場ではないことを見事に証明した、画期的な出来事であった。
そして、本田の本社も動いた。 地元浜松の盛り上がりもあり、準会員申請を行い、Jリーグを再び目指すことを宣言したのである。 依然として慎重路線を通し、Jリーグ参加を表明していない東京から見て、それはあまりにもうらやましいことであった。
しかし、この決定は、Jリーグから法外な費用のスタジアム改修を要求されたことにより、暗礁に乗り上げる。 そして、本田経営陣の妥当な経営判断により、準会員申請は撤回されることになった。 糞Jリーグに好チームが一つ潰された瞬間であった。
そして、その後本田は、J2への不参加も表明した。 その怒りと無念は察して余りある。
今ここに再び声を大にして言わなければならない。
東京は、永遠のライバルである本田の無念さを晴らさねばならない。 そのために、Jリーグで勝たなくてはならない。
我々にとっては、Jリーグは目標ではなく、敵のカテゴリーだ。 他のチームとは次元が違うことを結果で示さなければならないのである。 | 1995 |
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