ヴィッセル神戸95-96 |

| しかしながら、95年のJFLの緊張感は凄かった。この年の昇格争いは以下のチーム。
藤枝から福岡に移転したブルックス。浜松から鳥栖に移転したフューチャーズ。 そして京都パープルサンガ。そして、川崎製鉄が倉敷から神戸に移転してヴィッセルになった。 そして何を血迷ったかブランメル仙台も準会員申請していた。
中でも私が注目したのはヴィッセル神戸であった。 じつは、前年の柏サッカー場通いの中で、最も壮絶な思いをしたのは、第29節。 つまりラスト前のホーム最終戦の川崎製鉄戦であった。 ここで勝てば昇格がほぼ決まるという一戦だったため、スタンドは異様に盛り上がり、 試合前2時間半前にして、アウェイ側ゴール裏以外は満員となった。
この時、柏はカレッカ・ロペス・大倉・下平・梶野が出場停止。 しかしながら、棚田・加藤の動きが絶好調で、試合はさながら一方的なリンチの様相を呈した。 前半2分にコーナーから草野がゴール。そしてその後も攻めたて、シュート数は30対6。 明らかに柏はゲームを支配していた。
しかしながら、この日の川崎製鉄のキーパー、兼本が奇跡的なセーブを連発。全く追加点を許さない。 そして後半18分。守備の連携ミスのような感じからカウンターで抜けられ、アダウベルトが同点弾。 延長に入ってからも、決定的なシュートはポストに嫌われるなど、悪夢のような展開。 結局PK戦で、柏は敗れ去ったのであった。
帰りの電車の中で本当に夢を見てうなされた。 どんなに良いサッカーをしても、絶対に勝てないときがある。 理屈とか、戦術とかではどうしようもない時がある。 だから、どんな強い相手にでも勝つことが可能なのがサッカーで、 だからこそ世界中の人々を虜にしているのだと痛感させられた。 しかし、いくらなんでもこんな時期に、、。
観客でさえこうだったのだから、選手の思いは計り知れない。 そして、そんな強烈なインパクトを残したチームに興味を持つのは当然だったと思う。
しかし、勝利の船出を迎えるはずだったこの年、 このチームは日本サッカー史上、最も悲劇的な事態を迎えた。 それは練習開始初日の朝のことだった。あの阪神大震災が発生したのである。
チームはやむなく倉敷に避難し、調整計画は大幅に狂った。 しかも、どことは言わないが、 福岡で、ローズの56号を阻むためだけに敬遠攻めをするような、 根性の腐った下劣なへたれ野球チームの経営もしていた某企業が、 宣伝効果を狙って、他地域ではぐくまれていたチームを自ら持ってきたにも拘わらず、 経営から撤退。某企業は何とチームに対して解散指令まで出していたという。
その後チームは有志による活動等によりなんとか存続したものの、 運営は大幅縮小し、まさに手作りチームとなった。 しかも、震災の復興を優先させるため、練習場の確保はままならず、前半は泥沼の成績になる。 11節を終えて16チーム中15位。既に昇格の目は消えた。 そんな中、2軍監督のヨンソンが現役復帰、というニュースまで流れ、 もう、目も当てられない状況になった。
この頃の主力メンバーは以下の通り。(年齢)
FW 永島(31) ジアード(32)
MF(攻) 内藤(25) 江川(29)
MF(守) ヨンソン(35) ビッケル(32)
DF 和田(30) 松田(35) 吉村(24) 幸田(26)
GK 石末(31) 何しろ年齢が高い。永島とか和田とかは、出身が神戸ということで、 ほとんど好意で戻ってきたらしいのだが、 どう考えても、このメンツは、前年の柏などのチームに比べて、寄せ集め的で、 弱いといわざるを得なかった。
ところが、練習用グラウンドが何とか確保できたと同時に、 知将バクスターと闘将ヨンソン率いる年寄りチームは、 まるで不死鳥の如く甦ったのである。 そして後半戦は、ファウルの少ない上品なサッカーをしつつ、 苦渋を舐めさせられた上位陣をことごとく撃破。 13勝2敗という見事な復活劇を遂げたのである。 その結果、リーグはまれに見る激戦となったのである。
そして神戸は、天皇杯で自らのサッカーのレベルを実証する。 1回戦で清水、2回戦で磐田と、Jリーグ2チームを撃破。 惜しくもその年優勝したピクシー率いる名古屋に敗北したが、 圧倒的な強さで優勝した名古屋にもっとも善戦したのは神戸であり、 事実上の準優勝的内容であった。 話によると、この日華麗なセーブを繰り広げた石末に対して、 ピクシーは感動のあまり手を差し伸べたということだ。
この感動のストーリーが完結したのは翌年。最終戦のロスタイム。 ユニバにジアードの3点目のゴールが叩き込まれ、 一点差の呪縛から、昇格のプレッシャーから解き放たれた時、 終了のホイッスルが吹かれた。 だが、その昇格を決めるホイッスルは、あまりにも大きな歓声にかき消され、 誰一人として聞く事ができなかったのであった。
(しばしの涙)
そうそう、96年のシーズン、異様に印象に残っているプレイがある。 それは6月30日、町田の東京ガス戦。 前半戦を首位でターンしようかという絶好調東京ガスに対して、 ヴィッセルは入念にミーティングを行っていたようで、 会場入りは試合開始の45分前くらいになっていたと思う。 そして、試合は白熱し、東京ガスリードのまま迎えた終盤、そのシーンは起こった。
東京ペナルティエリア内で、当時社員選手だった浮気に対して、 身体ごとぶつかっていったのはエース永島だった。 そしてもんどりうって倒れると、主審はPKを指示した。 敗色濃厚なゲームの中での、永島一世一大の大芝居だった。 吉本興業のようにくさいものだったが、それはプライドをかなぐり捨てた、 あまりにもプロらしい芝居だった。 人の心を打つ演技だった。本気で感動させてもらった。
試合は、神戸が延長で勝利している。 永島のこのプレイがなければ、この年は東京ガスが2位に入り、 ヴィッセルの昇格は消滅していたのである。 | 1995 |
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