水戸ホーリーホック97ホーム |
| その川崎フロンターレは、圧倒的な選手層で、序盤は快進撃を続ける。 しかし、札幌の地で悪夢のロスタイム逆転負けを食らった頃から、少しズレが出てきた。 そして、灼熱の甲府盆地で甲府に完敗を喫したあたりで、 JFLの厳しさを知らないJリーグ流れの選手達と、 Jリーグ流れのオフィシャルサポーターさんたちともギクシャクしてくることになった。 去年からの選手は控えに入るのがやっと。チームは完全にばらばらの状態になる。
そして、前半戦の最終戦、笠松に乗り込んでの水戸戦を迎えることになった。
この水戸戦は最も私が注目していたゲームだった。 何しろ水戸には、富士通川崎の精神的支柱でありながら、首を切られた巻田が移籍していた。 それだけではない、昇格したばかりの水戸は市から支援を受けられずにいたため、予算は逼迫。 選手には一切給料は払っていない、完全アマチュアチームだったのだ。
巻田を始め、選手は協賛企業に人材派遣される形で、午前6時から昼まで働き、 それからサッカーをする、という、信じられないほど劣悪な環境に置かれていたのである。 当然、リーグでは、開幕から全敗の14連敗。 そして、ホームに優勝候補の準会員チームを迎えたのである。 どう考えても勝てるはずはなかったのだ。
しかし、この日の水戸のモチベーションは高かった。 負傷で欠場していた巻田は出場を志願、自分を首にしたチーム相手に闘志を燃やした。 そして、無給の選手たちは、金で選手を買いあさったチームに対して一泡吹かせようと燃えていた。
そして、川崎はムタイルの代わりにマルシオが入ったこともあり、 スタメン全員が今期加入選手、という異様なメンバーになっていた。 富士通川崎のユニフォームを着ていた私は、どっちを応援すればいいのかわからなかったよ。
そして、奇跡は起こったのである。 川崎は相手を舐めていたのか攻めにばかり意識が行く最悪の状態。 そして、カウンターから二宮が2発決めたのである。 その後水戸は井坂が不運な退場処分を受け、数的不利になるも、 攻めの姿勢を失わず、素晴らしいサッカーを繰り広げた。 結局1点は返されるものの守りきり、JFL初勝利を挙げたのであった。 感動的であった。御褒美としてユニフォームを買わずにはいられなかった。
試合後、富士通川崎のユニフォームを着たまま、競技場で出待ちし、巻田を抱きしめて祝福した。 「首になったのは仕方がないこと。でも、やっぱり意識はした。 今のチームは若いチームなのでとてもやり甲斐がある」、 と語ってくれた巻田の表情は本当に輝いていた。 | 1997 |
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