ユニフォーム資産
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PJMフューチャーズ


藤枝ブルックスが義理と人情のチームならば、
もう一方の新興チーム、PJMフューチャーズは
ある種計算ずくのチームであった。

何しろ、1987年に創設されて以来、静岡県西部3部リーグから始まって
全国地域リーグまで、6年間で9つの大会を全て優勝して突破。

初めての全国リーグとなったJFL2部で初めて優勝を逃したが、
これも準優勝。そして、いよいよJFLへ参戦となったのである。
ここまでの通産戦績は111勝3分4敗。冗談のような記録である。

そして、ある種ノーマークで挑んだ94年。
ウーゴ・マラドーナが兄を髣髴させる雰囲気で君臨。
強豪チームと互角のゲームを行い、一気に優勝戦線にまで届かんとした。
この年の壮絶な雰囲気は、間違いなく藤枝とPJMが作り出したものなのだ。

初めて生で見たのは柏でのレイソル戦。ウーゴの雰囲気も強烈だったが、
後にフリューゲルスのスポークスマンとなり、一時東京にも在籍した男前田浩二の
ほとんどファウルのハードディフェンス。
どうってことない接触プレイでのた打ち回り、思い切り時間稼ぎをした、
元東京ガス、後に柏に移籍するキーパー加藤竜二などの、
泥臭いプレイも印象的だった。

そしてこの試合ではPK戦までもつれこみ、柏を破った。
試合後興奮した有田社長がPJMの大旗を持ってグラウンドに乱入。
柏市民の逆鱗に触れ袋叩きに会うという、素晴らしいパフォーマンスまで披露して挑発。
更に結局ホームでも柏を破り、柏市民の心に大きな傷を負わせることになったのであった。
1994