JFL年表
第7回大会(1998:最終年度)
●1位 東京ガス(東京)
●○2位 川崎フロンターレ→入替戦出場
●3位 モンテディオ山形
●4位 ヴァンフォーレ甲府
5位 本田技研(浜松)
●6位 大分トリニティ
●○7位 ブランメル仙台
●8位 サガン鳥栖
9位 ヴォルティス徳島(大塚製薬)
10位 デンソー(刈谷)
●11位 アルビレックス新潟
●12位 NTT関東→大宮アルディージャ
13位 ソニー仙台
14位 水戸ホーリーホック
15位 国士舘大学(町田)
16位 ジャトコ(富士)

 この年は遺憾ながら、極めてリーグの意義が希薄になった年になった。それは、あの、日本サッカー史上最も愚かな大会、「Jリーグ参入決定戦」などというものが開催されたからであった。

 それは、Jリーグで2年間通して負けつづけた下位5チームと、JFL1位と2位(準会員の場合)の最大7チームによる、不平等トーナメント大会であった。あまりにも複雑怪奇、かつお馬鹿なルールだったため、詳しくは解説する気にもなれないので割愛するが、要するに、Jリーグにいて負けつづけたチームが、JFLを勝ちぬいたチームより有利になるように作られていたのである。

 最たるところは、緒戦がJFLの1位チームと2位チームの対戦となっており、この敗者は無条件で敗退が決まった。しかし、途中からシードチームのように出てくるJリーグのお荷物球団は、一度負けても敗者復活戦が更に用意されていたのである。つまり、この結果、JFLからは最高でも1チームしか昇格できないようになっていた。馬鹿ではなかろうか?

 しかも、あらかじめ認められた●印のついたチームは、いずれにしろ来期はJ2への参加が決まっているのである。
 こんな不公平な大会への被差別的参加権。これがこの年の上位2チームへ与えられた権利だったのだ。

 ということで、ブランメルはあっさり敵前逃亡する始末。そして、J2への参加も閉ざされた本田・徳島は戦力ダウンが否めなかった。戦術オタクの名将・石崎監督率いる山形のイマジネーション溢れるサッカー。そして万年貧乏クラブであった甲府のまさかの躍進による盛り上がりはあったが、やはり「JFLは死んだ」のだ。

 こんなシーズンで入れ替え戦に向けてチーム力を上げていき、かつ2位以内に入らなければいけない川崎は、どう考えても不利であった。しかし、シーズン開幕直前に最後に就任が決まったベット監督が、半年をかけて徐々に攻撃的チームを作り上げて行ったのは見事に尽きた。

 しかし、川崎は最終戦のロスタイムにまさかの失点を喫し、ソニー仙台に敗北。なんと、東京がタナボタの優勝をさらっている。

 得点王はヴァルディネイ(川崎)であったが、途中加入した19才のツゥットが、あっという間にリーグを代表するエースの座に着いたシーズンでもあった。
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