JFL年表
新JFL第1回大会(1999)
J2

1位 川崎フロンターレ →J1降格
2位 FC東京(←東京ガス) →J1降格
3位 大分トリニータ
4位 アルビレックス新潟
5位 コンサドーレ札幌
6位 大宮アルディージャ
7位 モンテディオ山形
8位 サガン鳥栖
9位 ベガルタ仙台(←ブランメル仙台)
10位 ヴァンフォーレ甲府

新JFL

■1位 横浜FC
2位 本田技研(浜松)
3位 水戸ホーリーホック→J2昇格
4位 デンソー(刈谷)
5位 ソニー仙台
6位 大塚(徳島)←ヴォルティス徳島
7位 ジャトコ(富士)
8位 横河電機(武蔵野)
9位 国士舘大学(町田)
一応、継続性をはっきりさせるためにJ2も掲載する。
JFLのほとんどのチームは、J2に移っており、
残りの主に企業チームが、新しく立ち上げられた新JFLに所属することになった。
JFLはJapan Football Leagueだったが、新JFLは、本当は日本フットボールリーグである。
でも、NFLと名乗るわけにはいかないので、新JFLと名乗っている。

 つまり、JFLと新JFLの間には継続性はない。

 この年は、実に訳のわからないリーグになった。
 J2参加を希望していた水戸が参加を拒否されてJFL落ち。
 さらに、フリューゲルスが潰れた煽りで急遽作られた横浜FCなる謎のチームが、
特例として参加させられている。Jリーグにいた人達(サポーターも含めて)は、
地域リーグでサッカーをするなんて嫌なんだって。どこまでも勝手な人達だ。
で、このリーグで4位以内に入ると、正式会員になるらしい。

 山形だって、鳥栖だって、仙台だって、潰れた福島だって、どのチームも
地域リーグ決勝大会という、日本で一番厳しい大会を勝ちあがってきたのに。
 そして、この横浜特例は、悪しき慣習となって、翌々年のリーグになると、
ますます訳がわからなくなってきてしまうことになる。

 しかも、1チームだけ馬鹿マスコミに悲劇のヒーロー扱いで取り上げられていた
横浜FCは、スポンサーが着いたりして、調子にのってにJリーグを首になった選手を
かき集めて、とんでもない寄せ集めチームを作って、で勝ちつづけたのがもっとむかついた。

 そんな中、リーグの希望の星となったのは水戸ホーリーホックだった。
この年の水戸はユニフォーム資産に書いたが、激動だった。
J2昇格の条件が示されないまま始まったリーグで、
経済的に行き詰まった選手に離脱者が相次ぎ、序盤はボロボロになったが、
準加盟チームを除く2位以内が昇格、という良くわからない条件が示されてから、
何とか持ちなおして、3位に滑り込んだのである。

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 一方、この年から始まったJ2は、まだ全般的にレベルが低い感じは否めなかったが、
日本最高峰リーグをJFLから引き継いで、終盤は大きな盛り上がりを見せた。

 この年は川崎と東京に札幌を加えた3強の争いと思われたが、札幌は最初から脱落した。

 そして東京が変調をきたした。開幕戦は会心の好ゲームだったものの、
序盤の新潟戦で完封負けを食らった翌節の川崎戦。
アマラオの2ゴールでリードしながらも、岩本輝雄のものごっつうスーパーミドルシュートが決まった時に、
そのレベルの違いを思い知らされ、一気に自信を喪失。そのまま引き分けてしまったのである。
その後東京は、ナビスコカップでベスト4進出するなど、一旦調子を戻したかに見えたが、
アマラオと堀池の負傷離脱により徐々に低迷、最終節で棚ボタの2位確保をしたが、
極めてレベルの低いシーズンとなった。

 一方、長丁場のシーズンを見据えてスロースタートし、東京戦で調子に乗ったはずの川崎は、
このまま放っておけば優勝は間違いなしと思われたが、何を血迷ったかベット監督を突然解雇し、
あっという間に劣悪チームに変貌してしまった。

 その間隙を縫って飛び出したのが、新潟と大分だった。
 新潟は堅守をベースにしてアウェイや強豪相手には守り倒し、一方格下相手には攻撃的に行って潰すという、
2通りの戦術がはまった。また、特に東京に対しては、戦術面では優れていたものの、個人技に劣るという
東京の特徴を見抜き、敢えてボールを一旦持たせて、トラップの甘さを突いて奪う、
という作戦で完全に優位に立ち、4戦中3試合を完封で破り、一気に台風の目となった。

 また、石崎監督を山形から引き抜いていた大分は、夏場あたりからチームがいよいよがっちり
機能し始め、もっとも良いサッカーを披露した。そして最終節前では一旦東京を交わして2位浮上しながら、
最終節のロスタイムに交通事故のような同点弾を浴びて引き分け、3位となってしまった。

 その石崎監督を失って植木を監督に迎えてしまった山形は、文字通り暗黒時代に突入する。

 この結果、最も劣悪なサッカーをしていた川崎と、最も精細のなかった東京が、
罰としてJ1に降格することになった。
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