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富士通


 初めて富士通というチームを見たのは、94年の厚木陸上競技場。
柏レイソルのアウェイ戦であった。結果は順当な敗北。
JFLの中では典型的な中堅〜弱小企業チームには、強豪準会員チームを脅かすのは不可能であった。

 チームへの印象はそれ程悪くなかった。
当時のメモには、「ディフェンスのパス回しは名古屋グランパスより上、
しかし、攻撃面での魅力が乏しい」とあった。
一生懸命まじめに守ってはいるものの、さすがに選手の質の違いは明らかであった。

 この年は、柏レイソルというフィルターを通して、全16チームを観戦していた。
東芝や東京ガスは対戦相手として見ていても、「またペデルッチを見に来よう」とか
「またアマラオ、関、堀池を見に来よう」とかいう能動的な印象を持ったのだが、
富士通に関しては、申し訳ないが、「積極的に見に来よう」という所までは行かないような気がした。

 よって、翌95年。富士通は主に準会員チームの相手という感じで観戦日程を組んだ。
しかし、等々力でのヴィッセル神戸戦、東京ガス戦を見てその印象は一変された。

 この年、非常に魅力的な大学卒FWが新加入していた。
強烈な印象を与える変わった名前。男前の甘いマスク。
そして何よりも、自分で出したスルーパスを自分で受けるスピードがあった。
攻撃面ではカウンターしかない富士通であったが、
その新加入FWの存在が、カウンターを脅威にしたのである。
源平貴久をまた見に来よう。」
神戸のDF、東京のDFをたった一人で切り裂いたFWを見て、本気でそう思った。

 しかしながら、何度か見に来てみると、このチームの持つ魅力が次第に見えてくるようになった。
それは、あまりにも個性的な「顔」が揃っていることであった。
浦和レッズ出身でありながら、妙に頼りない感じがしながらも、「いい人」を滲ませる巻田。
中国人助っ人の高・王・魏もそんな感じ。
そして、独特なだみ声と太い眉でチームのムードを盛り上げる堀越。
クレヨンしんちゃんのパパと名鑑に紹介される
どう見ても悪ガキにしか見えない岩渕・鈴木純。
クールな川元。気の強そうな小松崎。マスコット的な小坂

 たぶん、チームの集合写真を撮った時、最も面白い写真になったのではないだろうか。
ある種かつての南海ホークスのような、「商店街の草サッカーチーム」という趣があり、
非常に親しみを感じさせるものがあったのである。
 
1994