東芝サッカー部は、サッカーに理解のある川崎市民にとっては、特別な存在だった。
ヴェルディなどとは比較にならないし、富士通などは相手にならなかった。
私が見始めた時には既に、向島建や鈴木正紀など、毎年主力をひき抜かれ
(強豪であったが、Jリーグには不参加を表明)て弱体化していたが、しかし、独特の味は残っていた。
川崎の黒魔術師ペデルッチの悪魔の左足からミクロの芸術のごときロングパスがさも地獄の底から放たれ、
そして天国まで飛んだかと思うような川崎の黒い虎、バルデスの頭に吸い寄せられ、
そして炸裂した弾丸ヘディングが相手のキーパーごとゴールに叩き込まれる(かのような)瞬間。
どんな強豪だろうが準会員だろうが、東芝の前にはひざまづくしかなかったのだ。
その東芝が、富士通が準会員申請だのとたわけたことを言っている裏で
ニュースにもならず電撃的に札幌に行ってしまった時は、ショックだった。
その後札幌がチームカラーを残してくれているため、この赤黒カラーだけは存続している。
その後、大宮にバルデスが復帰。その等々力凱旋を祝して、このユニフォームを着て見に行ったのだが、
川崎のサポータに「コンサドーレだ」と言われてしまった。
彼らは富士通時代からのファンを追い出してしまったらしいので、
きっと東芝が川崎にあったことも知らない人達ばかりなのに違いない。
因みに、この当時の5番とは、現川崎フロンターレ監督の石崎のぶりんである。
小杉の駅近くで御本人にサインを戴けたのは、非常に嬉しい出来事であった。
まあ、川崎フロンターレについても、そのうちまとめる必要があるだろう。
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