ユニフォーム資産
トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ

福島FC 97


 2ページ前の笠松での衝撃的なゲームから一夜空けて、私は再び常磐線の電車に揺られていた。
この日はJビレッジのオープニングゲームとして、福島対札幌の一戦があったのである。

 それにしても、満員のJビレッジは、入場できない人もいて、凄い雰囲気だった。
私は客席が埋まっていたため、本来は入れないであろうゴール裏急斜面に入り込み、
最下部まで滑り降りた。

 首位札幌は、予想以上にレベルが高かった。
ペレイラ・ウーゴ・バルデスと、縦に最強の補強をしていたこのチームは、
中盤の構成力も去る事ながら、ペレイラが蹴り出すクリアボールさえが決定機になったのである。
福島は太刀打ちできるはずがなかった。

 ところが、満員の観客(とはいうものの、開幕セレモニーが終わった瞬間、
メインスタンド中央の来賓がぞろぞろ席を立ったのには頭に来た。政治家と企業役員あたりだろう。
こういうスポーツの素晴らしさに全く関心を持たない哀れな人間どもは、決して信用してはいけないのだ。)
と素晴らしい施設に発奮していた福島の選手たちは、
圧倒的な相手戦力に対して臆することはなく、真っ向から勝負を挑んでいったのである。

 試合は2対5という爽快なスコアになり、潔くさわやかに福島は玉砕したが、
完全に札幌のマークを外してスタンディングヘッドを決めた瀬川(168センチ)のゴールは見事だった。
会場の盛り上がりはお祭りのようだった。
ゴール裏崖下では若干2名によるウェーブが巻き起こった。

 本当に最高の気分だった。こんなチームが地元にあったら応援のし甲斐があるだろうな、と思った。
またこの会場に来年来よう、と思って帰途についた。
しかし、それは叶わぬ思いとなってしまった。
その年のシーズン後、福島FCも、財政の悪化により解散することになった。JFL昇格後3年。
あっという間の出来事であった。
つかの間の輝きだった。

 Jビレッジというこれだけの施設のある地域のサッカークラブが、どうして消滅しなければならないのだろうか?
あのメインスタンドにいた烏合の衆どもは、「施設を作る」ことには興味があっても、
「そこでサッカーをするチーム」に対してはどうして興味を示さないのだろうか?
 「福島FCを支援する議員の会」とかいうのがあったような気がするが、一体それは何だったのだろうか?
 これこそが日本のスポーツ行政の致命的な欠陥である。
国体の残骸のようなスタジアムが、ただ老朽化して行くだけの現状を、
もう一度見つめなおす必要があるのではないだろうか?


 蛇足だが、会場でこの試合に来賓としていらしていた、サー・ボビー・チャールトンにサインを戴いた。
警備が甘過ぎるということだが。
また、帰りの電車で川渕チェアマンと出くわした。
色々な背広を着た人達が擦り寄っていて、何だか大変そうだった。
そんな中でも、チェアマンは私のような一般客に話しかけてくれた。
「90分間で負けなくても何の価値も認めて貰えない、現在の勝点制度の改善」をお願いした。
「それはできないな」とあっさり断られたが、ファンの気持ちに対しては非常に感心を持っているようだった。

 色々大変だとは思うが、頑張ってもらいたい。
不満はあるが、そんな不満も、彼がJリーグをうまく立ち上げてくれたからこそ、
感じることができたものだからである。
1997