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柏レイソル 93-94 ホーム
そんな中、遂に私は禁断の世界に足を踏み入れたことになった。
それがJリーグの下部組織として構成されていたJFL(Japan Football League)であった。

JFLでは、スタジアムやチームの法人化などの条件を満たしていて、2位以内に入ると、
Jリーグに昇格できるルールがあった。
そして、その2位以内を争って、熾烈な戦いが繰り広げられていた。
当時はヤマハ(ジュビロ磐田)、フジタ(ベルマーレ平塚)、日立柏レイソルが戦い、柏が惨敗していた。

 負けても降格がない護送船団Jリーグが、お荷物チーム同士のヘボ試合の蔓延を始めていたのに対して、
下のリーグであるJFLは、明確な目標と、それに向けての身を切るような真剣勝負が存在していたのだ。

JFLにあって、Jリーグにないもの。それは文字通りフットボールだ。
面白さの違いは歴然だった。

そして、この世界へのナビゲーターを務めてくれたのがブラジル代表ストライカーのカレッカだった。
彼がJFLでも低迷していた柏レイソルに降臨し、
最後の昇格の望みをかけたナビスコカップに参戦した時の印象は鮮烈だった。
負け犬のように覇気のなかった柏のメンバーが、彼にボールを出すという共通目標を持って、
一丸となってボールを追った。

沈んでいた観客も「本物」のプレイにどよめき、我を忘れて叫び声を上げた。
仮設スタンドの貧相なサッカー場は、逆に異様な不気味さを備える戦闘場と変貌したのである。

 カレッカのプレイは機能美だった。非常に無駄がなく、細かい部分で見せるのである。
そしてそれは、客席との距離の近い柏サッカー場でこそ、魅力を存分に発揮した。


 一度ゴール裏の通路でカメラを抱えていたら、すぐ目の前、3メーターくらいだろうか、
カレッカが正にこっちに向かってダイビング・ヘッドで飛び込んできた。
あまりの迫力にすくんでしまい、シャッターは切れなかった。
練習を見ながら勝手に球拾いをした事もあった。
今から考えると、極めて貴重な経験をしていたんだなあ。黎明期こその特権である。

この年の柏レイソルについては、書きたいことがありすぎる。いずれ別途まとめることにしたい。