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ブランメル仙台97-98


 仙台スタジアムは素晴らしいところだった。
最高に見やすいし、音が独特にこもっていい感じで響く。
例えて言えば甲子園球場だ。
そして、最高のスタジアムでは、多少レベルが低かろうとも、そのサッカーは見るものに独特なフェロモンを発するのだ。

 だって、そうだろう? 
どんなに近鉄がいい野球をしようと、阪神がだらしなかろうと、一度甲子園に行ってごらん。
大阪のチームはタイガースなんだって感じるはずだ。
普通の感性を持っていたらだけど。

 当時のブランメルはあまり質のいいサッカーはしていなかった。
でも、仙台スタジアムでは強烈なアウェイの雰囲気と供に、魅力的な試合を見せてくれた。

 強烈だったのは98年の川崎戦。
この試合の阿部君のキレは尋常ではなかった。
彼はこの地に君臨する天皇のようだった。
鳥栖の地で遂にブレイクし、それ以来一目置いた存在であったが、
この日以来は、私は彼のことを阿部天皇と呼んでいる。
そしてその阿部天皇からのクロスに疾風の如く飛び込んだ平。美し過ぎる先制点が入った。

 試合は当時いよいよ機能し始めたツゥットが山路を可愛そうなくらい苛めまくっていた。
試合は川崎が逆転勝ちしたが、川崎はたまたまその一年でも最高のできだったのだ。
不運だったとしかいいようがない。

 試合後、川崎から来ていたと思われる観客が
「苦しい時はいつも仙台が助けてくれるねぇ」という馬鹿な会話を交わしていた。
私は彼らを心の底から哀れに思った。
これほどのグッドゲームを見てそれしか感じなかったのだろうか。

 因みに阿部天皇は2001年は流れ流れて川崎に漂着された。
この間までは完全に干されて、たすきをおかけになられて、
試合前に子供達と一緒にお手をお叩きになっていらっしゃったが、
やっとまともな監督に代わったため、スタメンで出場され始めている。

エメルソンまでいなくなった後の川崎市民の唯一の楽しみである。かんばって下さることを期待したい。
1998