ユニフォーム資産
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東京ガス95-96


 そしていよいよ、私は現在の生活の基盤となるチームと出会うことになる。

 前年にJFLにどっぷりとはまってしまい、柏が昇格した後も、結局私はJFLに残る決心をする。
で、前年はほとんど柏一本だった観戦を、
準会員戦(フューチャーズ、ブルックス、サンガ、ブランメル、ヴィッセル)中心に
できるだけ色々見ようと決心した。
となると、必然的に東芝・富士通・東京ガス・NTT関東のホーム巡りを行うこととなった。

 ちょうどこの年、私自身も仕事の関係で川崎移転を果たしたこともあり、
ゆかりのあるチームができることになった。
川崎の雄東芝。そして、富士通も川崎にあったことを知った。
ヴェルディは等々力使用の条件として約束していた川崎市民大運動会でのサッカー教室の開催を
すっぽかすようなチームなのでゆかりはなかった。

 そのサッカー教室を替わりに開いてくれたのが東京ガスだったということを知った。
フロンターレのファンは知らないだろうが、東京ガスに対しては川崎市民は恩義を感じているのだ。
もっと勉強して欲しい。

 このユニフォーム時代の鮮烈な記憶は、町田陸上競技場に詰まっている。
この地において、京都サンガを一蹴。
さらに、開幕から全勝していた無敵の福岡ブルックス(藤枝ブルックスが移転)をも
岡元(2001現在横河電機)のゴールで沈めることになる。

 試合後の競技場でも、素敵な光景が待っていた。
裏手の山に登って、明らかにJリーグとは違ういかした(またはいかれた)応援をしていた
ゴール裏の一団が競技場前で出待ちをしていて、選手をねぎらい、
そして本日のヒーロー関浩二(後に平塚、札幌でも活躍。2001現在青梅FC)を胴上げしていた。
選手と観客が一つのチームのようだった。
まるで、自分の仲間が準会員チームと戦っているような感じだった。全てが最高だった。
 そして、上記4チームの中から、東京ガスは次第に特別なチームとなって行った。

 東京ガスに関しては簡単には語れない。別途まとめる必要はあるだろう。
1995-1996