JFL年表
第5回大会(1996)
1位 本田技研(浜松)
○2位 ヴィッセル神戸→Jリーグ昇格
3位 東京ガス(東京)
○4位 鳥栖フューチャーズ(←浜松)→解散
○5位 コンサドーレ札幌(←東芝)
○6位 ブランメル仙台(仙台)
7位 ヴォルティス徳島(大塚製薬)
8位 モンテディオ山形(NEC山形)
9位 富士通川崎(←甲府)
10位 大分トリニティ
11位 ヴァンフォーレ甲府
12位 コスモ四日市→廃部
13位 NTT関東(浦和)
14位 福島FC
15位 デンソー(刈谷)
16位 西濃運輸(大垣)
この年は、開幕当初の雰囲気では、昨年の後半大躍進を遂げ(年末の天皇杯では清水エスパルスとジュビロ磐田を内容でも圧倒して完勝した)、しかも、デンマーク代表の大物、ミカエル・ラウドルップまで獲得して(とはいうものの、加入は後半戦からであったが)万全を期していたヴィッセル神戸。そして前年終盤での3連続PK負けという壮絶死を喫し、今期はあの最終兵器バルデスを獲得して雪辱に燃える鳥栖フューチャーズの一騎討ちになるものと予想されていた。

 しかし、この年、あの史上最悪といわれた愚挙が行われた。つまり、Jリーグ・アクションプランである。このプランによると、プロアマ混在だったJFLは98年をもって発展的解散。そして、改めてプロチームだけを集めて、J2(2部リーグ)を作る、というものであった。

 そして、JFLの各クラブには、確か97年までに、プロ化するか、アマチュアとしてやって行くか、の選択を迫ったのである。これはどう考えても急過ぎた。今のまま少しづつチーム力を上げていって、いつかはJリーグまで上がろう、という真っ当な考えを持っていた東京ガスやヴォルティス徳島などにとっては、極めて難しい問題を突き付けられた形になったのである。

 このため、プロ化できるかどうか微妙なチームは、親会社に対して「プロ化」をアピールする必要が生じた。富士通は「川崎」を、コスモ石油も「四日市」を名乗り、山形も微妙な名前ではあったが、チーム名から企業名を外した。

 そして昇格チームである大分トリニティーは、韓国代表の皇甫官崔大植李咏眞の三人を擁して、緒戦でなんと東京ガスを破る衝撃の登場を果たした。
 一気にこのリーグのチームはプロっぽくなったではないか。

 おりしも、Jリーグはバブルが弾けた頃で、大量に選手が解雇された年でもあったため、各チームは格安の資金で選手を補強できた。そして、中位から下位チームの攻勢により、リーグは大激戦となったのである。

 そして、結果として、親会社が最も慎重であった優良チーム、本田・東京・大塚が、特に大きく躍進したのである。何と本田は並み居る準会員を押しのけて優勝を果たしたが、この年は最終節当日になっても、1位から3位が決まらないという壮絶な展開であったのだ。
 今日負けたら一年が水の泡、という最終戦で、1点差のままロスタイムに突入したヴィッセル神戸のゲームの緊張感は凄かった。この時、ロスタイムにすべてのケリを着けるゴールを決めたジアードの歓喜の咆哮は別ページに掲載してあるので、そちらをどうぞ。

 しかし、急ぎ過ぎた結果。この年も昇格を逃がした鳥栖フューチャーズは、素晴らしく魅力的なチームをやっと作り上げたのにも拘わらず、財政が破綻し、消滅してしまったのであった。
 また、コスモ石油もこの年限りで廃部となった。

 得点王は2年連続でロペス。ロペスは翌年、ベルマーレ平塚に移籍。また、日本への帰化も認められ、ワールドカップ予選の韓国戦で代表デビューを飾った。
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