ユニフォーム資産
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富士通川崎


 一方、川崎では画期的なムーブメントが起きた。
等々力競技場の地元である中原商店街を中心に、「もうヴェルディは要らない」という気運が高まった。
そして、商店街は地元の富士通に対して、「川崎」という地名を入れてくれ、という、異例の申し込みを行った。
富士通はこれを了承し、富士通から富士通川崎に名称を変更。
しかも、ユニフォームの背中に川崎と入れたのである。
デザインもクール。限定30枚1万5千円だったが、私は嬉しくなって購入してしまった。

 ちなみに、まず私がやったことは、このユニフォームを着てよみうりランドに自転車で出かけ、
某チームのクラブハウスの周りを行ったり来たりする、ということであった。
嬉しかったんだよ、本当に。

 この時、94年の「日本一顔の面白いチーム」 95年の「男前源平と愉快な仲間たち」から、
「川崎のチーム」へと変貌を遂げたのであった。

 しかし、この年は、境を除く面白い顔の仲間達をことごとくリストラ。
大幅にプロ契約選手を導入。「リストラの富士通」の走りとなった年でもあった。

ちなみに、この年の代表的フォーメーションはこんな感じである。

源平 ムタイル

伊藤彰 ウィルソン

巻田 エンリケ

藤田 川元 小松崎 江田



 だが、サッカーの面白さはずば抜けた。特にナイジェリア人3人の加入は特筆すべきだった。
選手名鑑に「クロスバーを軽がると飛び越える身体能力」と書かれたのは偽りではあったが、
ムタイルが思いきり吹かす弾丸ミドルシュートは爽快以外の何物でもなく、
あっというまに等々力の名物となった。

 そして、重野や他の連中も触発されてミドルレンジから撃つ撃つ。
この年の川崎は別名「ミドル川崎」という愛称で呼ばれた。

 また、源平のスピード、パウスの重戦車ドリブル。
伊藤彰の根性(シュートを外して野次られた後、異様に発奮してゴールを決め、凄まじいガッツポーズを見せた)。
巻田の落ち着き。境の反射神経。
何よりも、皆が観客の声援を心から喜んでいるのが伝わってきたのが素敵だった。

 感動的だったのは天皇杯。3回戦で市原を破った富士通川崎は、等々力に凱旋する。
相手はガンバだったが、けれんみなくパワーで攻めた。
破れはしたが、最後まで爽快な戦いを披露し、川崎市民のハートを掴んだ。

 そして、その年、富士通川崎は準会員申請を行う。それはあまりにも急な展開だった。
そして、恐れていたことが現実となった。
1996