ユニフォーム資産
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川崎フロンターレ アウェイ


 魅惑のミドルシュート軍団、富士通川崎は川崎市民にある種「仲間」という意識で迎えられていたと思う。
しかし、そのチームはわずか一年で解体された。

 97年、名称を川崎フロンターレ、という、コンサドーレのパクリのような、妙にしまりのない名前に変更。
また、グレミオと提携して、グレミオの2軍のようなユニフォームと、チームエンブレムに変更した。
 因みに、このグレミオカラーとエンブレムは、よもや提携はしていないと思われるが、
福島のアマチュアチーム、プリメーロFCと全くといって良いほど同一だった。
一気に全てがかっこ悪くなった。

 しかも、何と、前年所属していた日本人プロ契約選手が全員解雇された。信じられない出来事だった。
Jリーグを解雇されたような選手を大量補強。2年連続でチームを総替えしたのである。

この年の序盤のメンバーはこんな感じ。ムタイル以外新加入選手である。

ムタイル
 ベッチーニョ

       向島

 大塚 中西

大場 小泉 シャイデ 戸倉

浦上

さらに、奥原のオーバーヘッドゴールを見逃してまで出かけた開幕戦で、私は信じられない光景を目撃する。

 気持ち悪いほどお揃いのグレミオカラーのユニフォームの一団が客席に溢れ、
そして彼らは「オフィシャル・サポーター」と紹介されたのである。

 この年、私は非常に迷っていた。
もう私は東京ガスの一員というつもりになっていたくらいはまっていたのだが、
地元にチームができる、しかも、上を目指す、という事態に遭遇し、
地元川崎のチームを応援すべきかどうか悩んでいたのだ。
しかし、迷いつつも等々力に来た私を待っていたのは、
「私はオフィシャル・サポーターではない」という事実だった訳だ。

 これは大きなトラウマになり、結局、努力はしたものの、
どうしても、あのグレミオカラーのユニフォームだけは、買うことができなかった。
結局私が買えたのは、このアウェイのシンプルなユニフォームだけであった。

 このユニフォーム時代の鮮烈な記憶は江戸川での東京ガス戦。

前半快調に飛ばしながら、チームのバランスが崩れ始めると、
何とこのチームはその責任を選手に押し付けた。
そして更に補強を行って、チームを改造していた。

野口 ムタイル

ベッチーニョ
 桂         長谷部
中西

大場 小泉 シャイデ 長橋

浦上

中でも、注目は当時、ヴェルディ川崎から追加レンタルした長谷部。
加入直後のジャトコ戦ではハットトリックを達成して飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

この長谷部に対して、岡元が対峙した時、中盤の底から凄い声がした。
「あいつ遅ぇぞ、抜け!」声の主は東京の闘将岡島。

 選手の質、量とも川崎が勝っていたはずのこの試合は、岡島の激で一変する。
スピードなら絶対負けない。東京が怒涛の突破を繰り返しアマラオが先制した。

 ところがこの劣勢を、後半は川崎が一変させる。なら俺達はパワーだ。
ゴール前に放り込まれたボールを、野口が、ムタイルが決めてひっくり返す。
東京はアマラオが追撃弾を叩きこむが、川崎は野口が再び突き放す。壮絶なゲームとなった。

 しかし、前節の札幌との直接対決で、自らの采配ミス
(札幌の鳥居塚投入で生じた中盤のコマ不足に対して、何とDFの平山を投入。
結果的にバルデスに3点ぶち込まれて逆転負け)
で試合をぶち壊した監督の斉藤和夫が、
ここでもまたとんでもないことをしでかした。
ムタイルに変えて守備的な土居ちゃんの投入。

 東京ガスで怖いのは一体誰だ?
アマラオ・エドウィンはもちろんだが、両サイドバックの藤山と新條こそがキーマンなのは言うまでもない。
何故1トップにして、彼らを自由にするのか?

ロスタイム、藤山が右に流れて新條と攻めあがった。
そのクロスをアマラオと競った時に、PKが宣告された。アマラオの3点目で同点。

 そして、延長戦。試合を決めたのは、アマラオの四点目だった。まさにキング・オブ・トーキョー。

 97年の川崎は、終盤の直接対決自爆劇3連発が全てだった。
そのお陰で素晴らしい伝説が多々生まれたのだから、感謝しなければいけないか。
1997